瀬戸臨海実験所公式ブログ ‐ 地球の海と生命を科学する人々の日常。

Jan 29, 2013

畠島の石碑

posted by 大和茂之

昭和天皇の記念碑が畠島にあると聞いたので、現地で確認して来ました。場所は、島の北西端の三角点の付近とのことでした。以前、この付近を歩いてまわったことがあるのですが、記憶にはありませんでした。 藪こぎをして、登って行くと、木立の中に見つかりました。


「聖上臨幸之所」という文字と、「昭和四年六月一日」という文字は読み取れましたが、それ以外の記述はありませんでした。

隣にある神島ほど有名ではありませんが、畠島にも昭和天皇は上陸されています。1929年(昭和4年)6月1日の午前中、瀬戸臨海実験所を訪問された後、午後は、田辺湾周辺の生物採集ということで、実験所の南浜から乗船されて、四双島・塔島などで採集された後、神島にて南方熊楠と出会われています。その後、畠島へは小丸島のあたりから上陸され、付近に露出する貝類の化石を観察されたり、その周辺の転石下の生物を採集されたりしています。さらに、砂浜の場所でギボシムシなどを採集された後、付近の地形地質をご覧になったとありますから、後に天然記念物となった化石漣痕(1931年2月指定)などを見られたものと思われます。有名な南方熊楠の昭和天皇への御進講は、この後戦艦長門へ戻って行われています。

この石碑は、ちょうどそのような昭和天皇が歩かれた範囲を見渡すところに建てられています。

このときの昭和天皇の和歌山県訪問を記念した石碑は、あちこちに残っています。神島にある南方熊楠の「一枝もこころして吹け沖つ風わが天皇(すめらぎ)のめでましし森ぞ」の碑は有名なものでしょうが、瀬戸臨海実験所の構内にも「臨幸記念碑」があります。ところが、畠島のこの石碑のことは、これまでに聞いたことがありませんでした。

畠島は、1960年代の半ば頃、大規模な観光開発計画で畠島の自然が破壊される危機にあったとき、国費で購入してもらい、瀬戸臨海実験所が管理することになりました。その時期に、畠島の自然環境の重要性を記したいろいろな文章が残っていますが、この石碑に関する記述は見当たりません。

この石碑は、おそらく昭和天皇が訪問された直後の時期に建てられたものと思われますが、いつ誰が建てたものか、知りたいと思います。このような歴史に詳しい方のご教示をお待ちしております。

追記:「白浜町誌 本編下巻一」の451ページに「昭和五年(1930)男爵三浦英太郎の揮毫により建立された」との記述がありました。この三浦英太郎 は、当時畠島を所有していた紀州徳川家から派遣されて、昭和天皇を畠島で出迎 えた方のようです。ネットで検索をすると、紀州藩の家老の家系であったらしく、また南方熊楠とも接点があったようです。これらのことについては、さらに調べて行きたいと思っています。